この50年を振り返りますと、まず昭和39年開催の東京オリンピックの隆盛と、終了後の長い不景気。そして日本の歴史にかつて無い人手不足の高度経済成長。因みに昭和47年、缶コーヒーが売価百円で登場しました。
次に昭和48年の第一次オイルショック。その年、自動販売機の普及台数は、200 万台を突破しています。
昭和54年、第二次オイルショック。同年、国家技能検定試験に『自動販売機』登場。昭和59年、自動販売機普及台数が500万台を突破。一億総不動産屋とも呼ばれたバブル期。平成3年にそのバブルが崩壊し、日本は長い不況期を迎え、我が国全体が『失われた20年』を過ごす事に・・・・。
更に平成20年のリーマンショック、平成23年の東日本大震災に見舞われ、我が国、我が業界は大打撃を受けました。
『人は、不幸や災難の時こそ、その真価が問われる』と言われています。東日本大震災時、我が業界は電力消費で言われなき批判を受けましたが、業界の皆の努力でその批判をはね飛ばし、今や自動販売機の存在は国民、消費者に感謝され、必需品として再認識されるようになっています。
大震災当日の東京都では、帰宅困難者の方々が数時間も歩いての帰宅途上、自分の家族の安否も確認出来ていないにも拘わらず、懸命になって、売り切れランプの点いた飲料自販機の商品補充に回って来たルートマンの方を、徒歩帰宅の方々が一列に並んで拍手で迎えて下さり、奪い合うこともなく「ありがとう!ありがとう!」と感謝して一本一本買って頂いたという、嬉しいエピソードは外国にまで報道されました。
これを契機に、自動販売機は、災害時のライフラインを担う必需品として認識されるようになりました。
その結果、東京都では新たに、災害時の帰宅困難者に備え、事業所では一人当たり3リットルの飲料水を3日分と食糧を備蓄しなければならない・・・との都条例が平成25年4月から施行される事となりました。正に、我が自動販売機業界は、活きたライフライン救援事業であるとの、自信と使命感を新たにしたいと思います。